2011年11月

2011年11月27日

回向院

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ゴロの供養をして頂いた、両国にある回向院は鼠小僧のお墓がある事で有名で、その墓石を削り、粉をお財布に入れると、金運のお守りになるそう。ちゃんと削り用の墓石が置いてあります。
それと、小動物の慰霊塔の前には、いつも居る主の猫が。ぬ~んと。堂々としていて、全く媚びない。不思議の国のアリスのチシャ猫みたいに、木の上から人間たちを見下ろしていました。
帰る時には、木から降りてきて、私達を見送ってくれました。

kirinrin713kumiko at 21:50|Permalink無題 

ゴロ

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我が家のお犬が、13歳で去年の秋に亡くなり、両国にある回向院というお寺で葬って頂き、一年間だけお骨を納骨堂に置いてもらっていたのですが、そろそろ期限が来たとの事で、永代供養にしてもらいました。

寂しい気持は、1年たっても癒える事はなく。時がたてば、少しづつ忘れていくのかと思っていました。それは全く違っていて 時間に反して、想い出と共に、ゴロへの愛執は増すばかり。
ほんとうに居なくなるって、こういう事なのですね。

もう一度だけ、あの柔らかくて温かい頭を撫でたい、あの優しい瞳に会いたい、です。

kirinrin713kumiko at 21:48|Permalink無題 

2011年11月26日

花を

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「何を描くかより、どう描くかが大事」と、昔、知人の現代美術家の方から言われました。その時は当たり前の事を言ってるなぁ位でしたが、最近、その言葉をよく思い出します。

モチーフとして、花を描く事を、しばらく止めていました。
去年から色々と考える事もあり、理由は沢山あって、言葉ではうまく言えないのですが。
先日、何故か急に思い立ち、百合をスケッチ。今まで何度も描いたはずなのに、新たな気付きと新鮮な驚き。花にすーっと、吸い込まれるような、一体になるような感覚。ひとつひとつの繊細な形態を追うだけで、いっぱいいっぱい。
まだまだな自分・何も分かって無かったんだなぁ‥と。止めるなんて100万年早い。
何を描いても良いのです。というより、最早、新しいものなんて無いのです。改めて 花を描く意味を考えながら。

kirinrin713kumiko at 20:42|Permalink無題 

2011年11月20日

浅ネタ~kabuki篇~

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江戸時代の芝居小屋を現代に再現・平成中村座が、今月から七ヶ月間、隅田公園の一角で公演中。勘三郎さんの本格的な復帰と仁左衛門丈の気品と情感溢れる舞台。通という訳じゃないので多くは語れませんが‥。勘三郎さんの「お祭り」、「伊賀越道中双六」には鳥肌(涙)もの。なんていうか、広く深く温かい。仁左サマは全てが美しくって完璧。隙が無いです。歌舞伎の音、台詞、所作、衣装、舞台美術、全てが重なり響き合い、ぐわぁっと沸き上がる、輝かしい瞬間みたいなのが好き。その瞬間は舞台に神サマが降りて来たような。日本人の血が騒ぎます(笑)高揚。

でも‥一部の役者の道徳心の無い事件や騒動には、心底呆れます。特別意識が強いのか井の中の蛙なのか。芸の肥やしで許されちゃうのも、なんだかね…。前に書いたブログと矛盾しちゃうけど、やっぱり表現者として人間性も重要だと思うんです…。

kirinrin713kumiko at 21:06|Permalinkアサクサ 

晩秋の日

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哀しいことにせよ、嬉しいことにせよ、その時に感じたことを、何かにすぐ形に出来る人がいます。音楽や絵や文章やその他、いろいろな分野で。
そういう、感じた何かを素通りさせずに、自分自身の中で噛み砕いて、違う形ですぐに表に出せる力って、なんていうのだろう…?そういうのを表現力っていうのかな?
表現力が長けていれば 言葉に出来ない想いや出来事を、良い形に出せるのでしょう。そうだとしたら、どんな経験や思いも、無駄にはならないのでしょうね。周りの人に共感や感動を与える物を生み出す事が出来れば、本望ですよね。
そう考えると、どんな経験も思いも、全て、かけがえのない事なのかもしれません。

kirinrin713kumiko at 21:05|Permalink無題