アサクサ

2020年12月21日

寂しい羽子板市と親バカ話し

今まで味わった事の無い一年か終わりそうです。
一年の終わりを告げる羽子板市も今年はなんとも寂しいものでした。
子供の通う幼稚園で園児が描いた羽子板が浅草寺境内に飾られるので、行ってきました。
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想像以上に人が居なくて戸惑いました。寂しいーーー!
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園児達が描いた羽子板の絵を見て、浅草寺にお参りして帰りました。

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来年は元に戻りますように。。。

そして、毎度の親バカ話しですが、浅草ROXでの子供絵画コンクールに佳作で入賞し、1月111日までROXで絵が飾られております。
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今年最後の良い思い出になりました。
本人はそんなに喜んでないのですが。。。
絵よりゲームの方が興味があるし、頭の中はゲームのみなのです。

kirinrin713kumiko at 20:40|PermalinkComments(0)

2020年07月06日

七夕飾り

7日は七夕ですね。
遅ればせながら手作り短冊にアマビエ様を描いて笹に願いを込めて結びました。
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先日、浅草神社へ夏詣に行きました。
人があまり居ない浅草神社は神聖な雰囲気で、暑かったですがお参り出来て良かっただす。
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また東京ではコロナの収束が遠のいていて、ニュース速報に毎日ガッカリする日々です。
見えない敵との戦いはまだまだ続いていきそうです。

kirinrin713kumiko at 13:13|PermalinkComments(0)

2015年03月29日

サクラさく

久々の地元ネタ。
少しづつ、春がやって来ましたね。
私が訪れた数日前は隅田川沿いの桜はチラホラ、既に花見客はゾロゾロ。

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浅草寺界隈は大賑わいです。

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日本人と同じくらい、外人の観光客の方々が来ています。狭い道をギュウギュウに歩いていると、色んな言語が飛び交っていて、あのフィレンツェの街を思い出します。なんて、フィレンツェと浅草を同じにしたらイタリア好きの方に怒られそうですが。
でも、浅草寺もフィレンツェのDuomoも、狭い街中に世界中からの沢山の観光客が集まって写真を撮ったり小さなお土産店を見たりしている姿は凄く似ているような気がします。
隅田川はアルノ川?かなぁ~、川向こうの牛島神社はCarmine教会?浅草駅はS.M.Novella駅?Pitti宮はスカイツリー?って、かなり無理やりなこじつけですね。笑。

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話は変わって、メトロ銀座線の上野駅の一部分が桜で満開です。

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初めて見たときはちょっとビックリしました。
こんな粋な演出だと、殺伐とした通勤タイムも少し和やかな気持ちになれるのでは?
桜の季節は日本人にとって特別ですね。

kirinrin713kumiko at 12:10|PermalinkComments(0)

2014年01月01日

除夜の鐘

浅草寺の除夜の鐘は、近くの弁天山公園の、その隣にある鐘撞堂で行われます。

今年の浅草寺の108つの除夜の鐘つきのうち、一つきの権利が、巡り巡って、させて貰えることになりました。
なんという光栄な!!

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私たちの順番はもちろん、後半ですが、最初のほうは台東区の偉い方々や芸能人?などの方のようです。

鐘の前に立つと、不思議と私利私欲は消え、広く大きな心持ちに。。。

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どうか、皆様にとって良い年となりますように。

kirinrin713kumiko at 03:54|PermalinkComments(0)

2012年12月05日

勘三郎丈

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勘三郎さんはいつも舞台に全身全霊をかけていた。常に現状に満足せず、高みを目指し、観客を喜ばすことに精一杯だった。正統な歌舞伎からみたら、だいぶカタを外し冒険をし、時に過剰なところもあったかもしれない。でも、誰もが楽しめる笑いやエンターテイメント過多の裏に、勘三郎さんが歌舞伎を閉ざされた狭い世界にしてはいけないという、危機感を持ち、ある覚悟と犠牲を伴い、演じていたように思う。
早過ぎる死は、正に命を削った舞台の数々の証で、私は、何度となく、その舞台からパワーや元気を貰っていたのに、、まだ全然何にも、活かせていない。
何年も前の浅草の平成中村座公演で、私はお茶子のアルバイトをした。
タダで舞台が観れるかもという、安直な考えもあったけど、本当は何より、自分の家のご先祖が浅草に歌舞伎小屋があった江戸時代の頃から、商売がら縁があると知って、私も今の時代で浅草で復活した歌舞伎小屋に関わりたいと思ったから。
お茶子バイトは想像以上ハードだったけど、歌舞伎に関わる人々の舞台にかける真剣勝負な姿を垣間見えたのは、凄く勉強になったし、美術とはまた違う華やかで刹那的な世界に、憧れを感じた。
テレビや舞台では、気さくで明るいイメージだけど、舞台裏の勘三郎さんは、常に張り詰めた緊張感があって近寄り難い、厳しいオーラを感じた。年がら年中続く公演の毎日で、心底リラックスできる日は一年のうちに何日あるんだろう?と思った。
それでも、勘三郎さんは、アルバイトのお茶子達のことも常に気遣っていて、分け隔てなく見ていてくれるのには本当に驚きだった。あらゆる人の立場になって考えている情の厚い方だった。その懐の深い人柄に、勘三郎さんと接した人は皆、ファンになる。そういう絶大な魅力を持った方だった。
大晦日には除夜の鐘を、襲名のお練りも浅草だった。浅草の人間にとって勘三郎さんが居なくなるのは本当に淋しい、いや、多分、勘三郎さんが公演した勘三郎さんが関わった日本国中の、世界中のあらゆる土地の人が悲しんでいると思う。
それぞれに大切な想い出があって、全ての人にとって、勘三郎さんは特別な存在だから。

目を瞑ると、鮮やかに浮かぶ。もう、観ることは出来ない、あの独特で魅力的でパワフルな舞台。

銀杏は中村屋の定紋で、こんな黄葉の美しい季節に逝ってしまうなんて、勘三郎さんらしい、と銀杏の葉が散るのを見て思った。
ご冥福をお祈り、、なんて儀礼的な言葉はまだ、書けないし書きたくない。
今は、ただ本当に悲しくて残念です。

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kirinrin713kumiko at 21:49|Permalink