2012年07月
2012年07月31日
グループ展のご案内

東京八重洲にあるT-BOXギャラリーにてグループ展に参加しています。
昨日は、画廊主が中心になり「見れば解るとよく言われるが、どのように見ているか解っているようで解らない。絵画をどのように見ているか」というテーマでギャラリートークがありました。
意外に(!?)真面目なお話会になり、ビール片手に脱線もありつつでしたが、いろいろと考えさせられました。
私は、以前のモチーフは具象が多かったのですが、最近は何が描かれているかはさほど重要ではなく、形や表面上だけではなくて、もっと奥深いところで、作品と鑑賞者の心中とが共鳴しあえたら‥きっと震えるような、離れ難くなるような出会いが‥あるのではと思って制作していました。
でも これは私の身勝手な、都合の良い考えだと気づきました。
やっぱり、一般的には抽象画は難しい、解らないという概念は色濃く、それなのに作家がきちんとした説明もなく「感じたままに観てください」というのはとっても無責任かもしれません。鑑賞者と作品の壁はますます厚くなり‥。“観る=(イコール)解る”というのが普通の生活上では当たり前で、何か理解出来ないものは不安や不快感を与えてしまいます。
絵を見て何かを感じるというのも、もっと非日常的な行為なのかもしれません。
でも、正直言うと、作品を言葉で完璧に説明することは本当に難しいです。
なぜならば、一枚の作品の中に私は膨大な意味を込めてみたいと願っていて、それを言葉で表現できるのであれば、初めから絵ではなく、小説なり詩を書くだろうと思うのです。
言葉では説明できない、自分の範囲を超えたモノ(祈りのような)を、創造できたらよいな…と願っていて。
とはいえ、到底、そんなまだまだなんですが…。
2012年07月24日
暑中お見舞い申し上げます
どんどん小さく、柔なモノになってきて‥ゴミと間違って捨てちゃいそう(^_^;)
明らかに以前とは違う作風ですが、自分自身としてはそんなに意識して変化した訳でもなく。自然な流れで‥。
いえ、ほんとうの所は変わってないのかもしれません。
でも、やっぱりイタリアから帰国してすぐに震災にあったことが、影響しているのでしょうか。未だ、考えがまとまりません‥。
自分自身のことなのに、きちんと説明出来ないのも、変と言いますか、不甲斐ないです。
真夏のさ中、グループ展示会に参加致します。
小品を数点出す予定です。
「T-BOX MIX展・後期」
会期・7月30日~8月4日・11時~19時(最終日は16時迄)
場所・T-BOX
http://www.tbox.co.jp/
中央区八重洲2-8-10-3階(エレベーターは無くて階段です)
会期中は会場には私は不在で大変失礼をしてしまうのですが、もし、お近くに来ることがありましたら、お立ち寄り頂けたら幸いです。
よろしくお願い致します。
2012年07月17日
痛み
「美しい心を持つ人には、沢山の美しいものが見える」という言葉を聞いたことがある。美しいものを探し求めるのは、人間の原始的な欲求だと思う。
だけど、 いつからか 世の中は経済が第一になって、役に立たない美や芸術は蔑ろにされ、文化は二の次にされてきた。
でも
そういうお金にはならない、経済的価値の無い物ほど、人間らしさを養い、心を豊かにする。
芸術を学ぶ事を軽視した学校教育を受けた子供たちは、たぶん自分らしさや表現する事は押さえられ、いつしか無理や歪みが生じるのでは、と思う。
いじめは昔からあるし、これから先も無くならないだろう。
だけど、その残虐さや非情さがエスカレートするのは、成果主義のストレスフルな社会が原因の一つだと思う。
いろいろな要因があるだろうし、私のような素人が簡単には言えない奥深い問題‥。
だけど、何かに感動し、美を感じる心が養われなかったら、他人の痛みを感じるイマジネーションも欠乏するだろう。本当に大切なことがあやふやで、不安だらけの、この世の中で。
だけど、 いつからか 世の中は経済が第一になって、役に立たない美や芸術は蔑ろにされ、文化は二の次にされてきた。
でも
そういうお金にはならない、経済的価値の無い物ほど、人間らしさを養い、心を豊かにする。
芸術を学ぶ事を軽視した学校教育を受けた子供たちは、たぶん自分らしさや表現する事は押さえられ、いつしか無理や歪みが生じるのでは、と思う。
いじめは昔からあるし、これから先も無くならないだろう。
だけど、その残虐さや非情さがエスカレートするのは、成果主義のストレスフルな社会が原因の一つだと思う。
いろいろな要因があるだろうし、私のような素人が簡単には言えない奥深い問題‥。
だけど、何かに感動し、美を感じる心が養われなかったら、他人の痛みを感じるイマジネーションも欠乏するだろう。本当に大切なことがあやふやで、不安だらけの、この世の中で。
2012年07月12日
ほおづき市
電球の色だけでこんなにも違和感があるのかと驚き、寂しくなりました。
あの白熱灯のホワッとしたオレンジの明かりに、ほおづきの実が照らされ、活気のある呼び込みの声、いつもと違う異空間。夏の記憶の一つとして心に残るのに。
今年は妙に白々しく明るくて、無味乾燥‥。
些細なことだけど、こういう所に他の国には無い、日本独特の情緒が宿っていると思うのです。(それに絶対、購買欲も下がると思う)
これからの子供たちは、ほおづき市に行っても今迄とは違う景色で心に残っていくわけで、あの青白い電気からは、何も感じられないのでは‥と思います。
どうして、そういう、細やかだけど大事な所に鈍感になってしまうのかな‥残念です。
節電対策はもっと別のところが先でしょ!と思ってしまいます。
2012年07月03日
昔のメモ
今も制作する上で気付いたことをノートに書き綴っていて、それは幾冊かあって、そのメモ紙にもごちゃごちゃと色々な内容が書きなぐってあった。
過去の自分の文字。確かに自分の文字だけれど、違う人が書いたような、不思議な‥記憶のズレ。忘れてしまっている。
当時、聴講したBゼミや芸大の講義内容だったり、中川一政や村山槐多の言葉などなど。あとは独り言がポツポツと。ふと、目に留まる一文…15年も前の私から、今の私への叱咤だろうか。。。
「技術ではなくものを見ることの問題。全てに能動的に!社会や全てを肯定的にみてみる。
自分の可能性 自分のやった事を能動的に解釈しなおす。 やってみないと分からない事。先にイメージしない。枠の中で考えないで枠を取り払い 自分の考えや抱え込んできたものを剥がし、解釈しなおす。今までの自分の言葉では計り知れない事は今まで知っている言葉だけで解ろうとするから解らない。」