2012年10月
2012年10月26日
リアル
時々、“今、ここにいる”という感覚が、あやふやになることがある。それは、夕方の道を歩いている時だったり、黙々とお皿を洗っている時だったり、電車の窓から流れる景色を見ている時だったり。
それは、よく、朝、目覚めて、明け方に見た夢と現実が、ごっちゃになるように。リアルへの境目が薄れる。
アタマの中は、フル回転。空想の中の私はいろんなことをして、いろんな人といろんなことを話す(つまり、独りごと)
どちらかと言えば妄想というのかな。
妄想の中の私は饒舌で、勇敢、活発で幸運。ときに傷つきやすく、過剰に悲嘆する。
実際には、何一つ変わっていないのに、アタマの中だけで、世界一周したくらい、ヘトヘトだ。
でも、自分にとっての本当の“リアル”はどちらなんだろうか。
もしかしたら、現実だと感じているほうが、そうじゃないかもしれないし。
ドラえもんで、あのストーリーが実は全て、昏睡状態ののび太の夢だった、なんていう、なんだか酷い冗談話もあるけど。その、のび太にとっては幸せなのかも。
それぞれの、全ての人のアタマの中にあるその人だけの世界。誰にも知られることは無いリアル。
それは、よく、朝、目覚めて、明け方に見た夢と現実が、ごっちゃになるように。リアルへの境目が薄れる。
アタマの中は、フル回転。空想の中の私はいろんなことをして、いろんな人といろんなことを話す(つまり、独りごと)
どちらかと言えば妄想というのかな。
妄想の中の私は饒舌で、勇敢、活発で幸運。ときに傷つきやすく、過剰に悲嘆する。
実際には、何一つ変わっていないのに、アタマの中だけで、世界一周したくらい、ヘトヘトだ。
でも、自分にとっての本当の“リアル”はどちらなんだろうか。
もしかしたら、現実だと感じているほうが、そうじゃないかもしれないし。
ドラえもんで、あのストーリーが実は全て、昏睡状態ののび太の夢だった、なんていう、なんだか酷い冗談話もあるけど。その、のび太にとっては幸せなのかも。
それぞれの、全ての人のアタマの中にあるその人だけの世界。誰にも知られることは無いリアル。
2012年10月12日
和の夜
古箏やシタールと日本の箏のコラボや、三味線を伴奏に語りがあったり、能の場面があったり、長唄と義太夫の掛け合いがあったり、まさに邦楽メインの和のミュージカルです。
派手なしかけは無いのですが、演出が凝っていて、背景に抽象的な映像が映し出されたり、歌舞伎のような見せ場があったり、シンプルな舞台なのに、ググッと引き込まれます。
一番印象的だったのは、ラスト、邦楽器奏者の方々がずらりと舞台に並んだ後ろに、洋装の指揮者と共に洋楽器の楽団が。ヴァイオリンやヴィオラ、チェロコントラバスの音色が、邦楽に合わせて演奏されました。
和楽器が洋楽の音楽を演奏するのはよくありますが、邦楽に合わせて洋楽器が奏でるのは初めて聴いた気がします。
それが、ものすごく不思議なことに合っていて、違和感無く、新しいジャンルというか、、素敵でした。
素人の私の感想なので的外れかもしれないのですが、邦楽は例えるなら平面的でシャープ、無駄がないのですが、そこに洋楽器の柔らかい音が重なると、ぐっと奥深く、立体的に、陰影があるというのか。それって、日本画と油絵のことと同じだなぁ、と思いました。ふたつの世界が共演すると、深い深い森のような…宇宙みたいな…演奏でした。
余韻に浸りつつ、夜の上野公園をぬけ、帰宅。
一息ついて、テレビを付けたら、画面から見慣れた風景。あれ?家の店?工房が。写真家の立木義浩氏と女優さんが浅草をカメラを片手に散歩する番組で、御神輿の取材をされてました。
弟が「ガッキーと話した」とデレっとしてたのはこのことだったのね。
私は勿論映ってませんが、再放送が明日?土曜日の昼からBSアサヒで放映されるみたいです。確か「フォトラバーズ」という番組?で、浅草の地味な界隈もいろいろ出てきます。