2012年12月
2012年12月30日
今年も終わり
お腹は痛いけど、、、。
眠り薬を飲んだかのように、ひたすら眠い。丸2日間寝込んでしまった。ぐーぐーと。
ほとんど目が覚めない。
時折、少し目覚めて、身体を起こそうとするけど、フラ~と気持ち悪くなって、また、そのままパタリ。
枕に吸い込まれるように、うっぷして、また、ぐーぐー眠る。
ただひたすらに、こんこんと。
夢も二本立て、三本立て、いろいろみた。
布団を頭までモッサリ被り、身体をまるめて眠った。
脱皮をしないサナギのよう。
空ろな意識の中、様々な想いや考えが浮かんでは睡魔に負けて、スゥーっと消えていった。
少し覚えている、ある考え。
理屈や理由やタテマエの、枝や葉がニョキニョキと伸びに伸びきって、その根っこは何処にあるか分からない。
言い訳という名の鬱蒼とした枝を、ガシガシと払いのければ、その奥の奥にあるのは、「好きか嫌いか」「良いか悪いか」。
物凄くシンプル。
その根っこを見失わないようにしないと、自分じゃなくなるだろうな、と。
何時だかわからない、薄暗い部屋の天井を見ながら、思った。
3日目にようやく歩いて病院に行き、よくある話だけど、待合室にいたら、みるみる良くなってきて、一応薬をもらい仕事に復帰。
外は既に年末の忙しい空気で、なんだか自分だけ置いてけぼりにされたような焦燥感。貴重な年の瀬に消えた3日間。
何だったのだろう…。
来年に向けてのリセットだったのかな?
今年も残りわずか。
どうぞ佳き年をお迎え下さいませ!
くれぐれも体調には気をつけて(^_^)
2012年12月23日
グループ展示会のご案内
グループ展示会のご案内です。
「新春を言祝ぐ展」
期間
平成24年12月25日~平成25年1月6日
11時から18時まで。(最終日は16時迄)
12月28日17時~22時
12月27日休廊
場所
「Gallery黎Begin」
京都市上京区御前通今出川上ル馬喰町886
「ことばで祝福する、喜びを言うという意味の「言祝ぐ」。
新年を言祝ぐ展に並んでいる作品も、それぞれの作家が思いを込めて、「ことば」を「かたち」にかえたものです。皆様の新しい年にも、佳き事が降り積もるように、ますます積み重ねられますように。」
ギャラリーの場所は京都の北野天満宮の近くで、年始は御参りの方々でとても賑わうそうです。
今回は小品を一点だけ出品しています。
この作品を制作している間、なぜか“黄泉”という言葉が浮かびました。でも、新年を祝う展示作品に、まさかそのタイトルは付けませんでしたが(^_^;)
もし、お近くにお越しの際はお立ち寄り頂けたら幸いです。
どうぞよろしくお願い致します。
2012年12月18日
師走
浅草は羽子板市です。
仕事の帰りにちょっと寄り道。
ここ最近は、年内最後のグループ展へ出す作品の直しをちょこちょこやりつつ、
イラストの仕事も。と言っても、イラストは苦手中の苦手で。いわゆる下手なんです。
でも、頼んで頂けるので、こんなんで良いのかな~と罪悪感を持ちつつ、開き直り楽しみながら描いてます。
もう、10年前位からのやり取りですが、とある歌舞伎役者さんのファンクラブの会報誌のために。
今年もいろいろありました、、、。
でも、変わらず今年も絵を描いていられて、良かったなぁ。
ノロとかインフルエンザとか、流行っているみたいです、怖いですね。どうぞご自愛下さいませー。
2012年12月05日
勘三郎丈
早過ぎる死は、正に命を削った舞台の数々の証で、私は、何度となく、その舞台からパワーや元気を貰っていたのに、、まだ全然何にも、活かせていない。
何年も前の浅草の平成中村座公演で、私はお茶子のアルバイトをした。
タダで舞台が観れるかもという、安直な考えもあったけど、本当は何より、自分の家のご先祖が浅草に歌舞伎小屋があった江戸時代の頃から、商売がら縁があると知って、私も今の時代で浅草で復活した歌舞伎小屋に関わりたいと思ったから。
お茶子バイトは想像以上ハードだったけど、歌舞伎に関わる人々の舞台にかける真剣勝負な姿を垣間見えたのは、凄く勉強になったし、美術とはまた違う華やかで刹那的な世界に、憧れを感じた。
テレビや舞台では、気さくで明るいイメージだけど、舞台裏の勘三郎さんは、常に張り詰めた緊張感があって近寄り難い、厳しいオーラを感じた。年がら年中続く公演の毎日で、心底リラックスできる日は一年のうちに何日あるんだろう?と思った。
それでも、勘三郎さんは、アルバイトのお茶子達のことも常に気遣っていて、分け隔てなく見ていてくれるのには本当に驚きだった。あらゆる人の立場になって考えている情の厚い方だった。その懐の深い人柄に、勘三郎さんと接した人は皆、ファンになる。そういう絶大な魅力を持った方だった。
大晦日には除夜の鐘を、襲名のお練りも浅草だった。浅草の人間にとって勘三郎さんが居なくなるのは本当に淋しい、いや、多分、勘三郎さんが公演した勘三郎さんが関わった日本国中の、世界中のあらゆる土地の人が悲しんでいると思う。
それぞれに大切な想い出があって、全ての人にとって、勘三郎さんは特別な存在だから。
目を瞑ると、鮮やかに浮かぶ。もう、観ることは出来ない、あの独特で魅力的でパワフルな舞台。
銀杏は中村屋の定紋で、こんな黄葉の美しい季節に逝ってしまうなんて、勘三郎さんらしい、と銀杏の葉が散るのを見て思った。
ご冥福をお祈り、、なんて儀礼的な言葉はまだ、書けないし書きたくない。
今は、ただ本当に悲しくて残念です。