無題
2025年01月14日
2025年になりました
2025年になりました。
今年も洋画作家の欄に掲載して頂きました。
もう10年くらいになるでしょうか。
毎年、掲載と確認の連絡を頂いて有り難いです。
身の引き締まる思いです。
ブログも書こう書こうと思いながらタイミングを逃して、時間が過ぎてしまいました。
年末に子供が熱を出し、病院お休みなのにインフルエンザかも!?とめちゃくちゃ焦ったら、すぐに熱は下がりほっとしてたら、年始に自分が鼻風邪をひいてしまい、鼻水くしゃみが止まらない!とりあえず静かにしていました。
なので、お正月らしい事もせずに1月も中旬。。
先日、恒例の新春浅草歌舞伎を観劇してきて、やっと、やっとお正月らしさを感じました。
若手とはいえ落ち着いていて上手というか、もう、出来上がってますね。なんていうのか、優等生って感じです。
安心して楽しめました。ありがたやー。
毎年、年頭に今年の目標を考えるのですが、
大体いつも同じで、今年も毎日描く!と健康第一!と少しは運動する!です。
毎日描くのも結構難しいのでドローイングとかスケッチも可という甘めな設定で。
運動は去年は親子マラソン大会に出場する事になり練習をしたりして、ちょっと走ってましたが、自分は今年からはマラソン大会はパスしました。ドキドキ心臓止まりそうなので。大会は出ないけど、練習は付き合えたらなぁと思います。
今年はどんな1年になるのでしょうか。
良い年と成りますように。
kirinrin713kumiko at 16:27|Permalink│Comments(0)
2024年09月19日
ジャンミッシェルフォロン展
東京ステーションギャラリーで開催している「フォロン」展に行ってきました。
行こう行こうと思っていたのに、気づいたらもう会期終了間近!日本で30年ぶりの回顧展、見逃せないっ!と慌てて用事の後にいきました。
フォロンというとポスターとかイラストのイメージが強いのですが、原画は凄く良かった。色彩がとにかく深いというか、何色?分からない綺麗な色。
水彩やカラーインクの使い方が絶妙でどうやってるんだろう。ちょっとでも気に入らない時はやり直しているのでは?多分何枚も描いているような気がする。絵の間(ま)も線もお洒落というか、可愛いというか。心くすぐります。
反戦や環境問題にも強いメッセージを持った作品もあって、ほんわかしている絵でガイコツとかミサイルとか描いてあって、その真逆な感じが余計に目に留まります。
フォロンの絵を見ていて自分の息子の絵を思い出してしまった。似てるというか、化け物とか描くけどちょっとユーモラスな雰囲気とか共通するものを感じて。私は子供の描く絵が好きなのですが、それはフォロンが子供の心を大人になっても持っているからかもですね。
ある作品の前で見ていた2人組の女性が「これ何に描いてるんだろー?紙?紙だよね?」とじっと作品を見ていたので、私も近くで見てみたら、あ!これ!イタリアのフィレンツェの画材屋さんのゼッキという店の紙と同じかも?!と感激。
というのも、その紙が凄く特徴のある紙で横線があって布のような?紙なんです。
フォロンがフィレンツェのゼッキで買ったとは分からないけれど、多分同じような製品をヨーロッパ内で売っていたのかなぁ、なんて思いました。
この画用紙、私も凄く好きでフィレンツェで買って帰国して大切に使ってます。
フィレンツェに住んでいた友人も留学していた友人もこのゼッキの紙の話しをするとすぐに分かってくれて、あ、あれね!なんて言われます。やっぱりちょっと特徴あって味のある紙だからかも。まだ売ってるのかなぁ??
看板の前にフォロンの絵と同じような旅人が立っていたので、思わず写真撮ってしまった笑。
フォロンの名前を初めて知ったのは、もう何十年??前に趣味でイタリア文化会館でイタリア語を習っていた頃。
初めてのクラスで一緒になった中年のご夫婦がフォロンの絵が好きでコレクションしていると言っていて。
ベルギーまで作品を買いに行くとか話していて、ほへーそれは素敵ですなぁー。って心の中で思っていました。
そのご夫婦とは途中からクラス違ってしまって会わなくなってしまったけど、自分の個展とかも来てくれたなぁ。。なんて思い出しながら自転車で上野公園の脇道を走っていたら道の反対側に奇抜な服装の外人女性。ん?とふと顔を見たら多分その時に習っていたイタリア語の先生??!かも?こちら自転車で走っているし反対側の道だったので、本当にん??という一瞬の目撃。でも、本物かなぁ。シモーナっていういつも個性的な服で素敵な女性だった。時々皆でランチして、彼女ベジタリアンで肉なしインドカレー食べてたなぁ。
もし、シモーナだったらちょっと不思議な偶然です。イタリア語をまた習えという御告げでしょうか。。なんて。
そんなフォロン展からイタリア語教室の日々を思い出しました。懐かしいな。
行こう行こうと思っていたのに、気づいたらもう会期終了間近!日本で30年ぶりの回顧展、見逃せないっ!と慌てて用事の後にいきました。
フォロンというとポスターとかイラストのイメージが強いのですが、原画は凄く良かった。色彩がとにかく深いというか、何色?分からない綺麗な色。
水彩やカラーインクの使い方が絶妙でどうやってるんだろう。ちょっとでも気に入らない時はやり直しているのでは?多分何枚も描いているような気がする。絵の間(ま)も線もお洒落というか、可愛いというか。心くすぐります。
反戦や環境問題にも強いメッセージを持った作品もあって、ほんわかしている絵でガイコツとかミサイルとか描いてあって、その真逆な感じが余計に目に留まります。
フォロンの絵を見ていて自分の息子の絵を思い出してしまった。似てるというか、化け物とか描くけどちょっとユーモラスな雰囲気とか共通するものを感じて。私は子供の描く絵が好きなのですが、それはフォロンが子供の心を大人になっても持っているからかもですね。
ある作品の前で見ていた2人組の女性が「これ何に描いてるんだろー?紙?紙だよね?」とじっと作品を見ていたので、私も近くで見てみたら、あ!これ!イタリアのフィレンツェの画材屋さんのゼッキという店の紙と同じかも?!と感激。
というのも、その紙が凄く特徴のある紙で横線があって布のような?紙なんです。
フォロンがフィレンツェのゼッキで買ったとは分からないけれど、多分同じような製品をヨーロッパ内で売っていたのかなぁ、なんて思いました。
この画用紙、私も凄く好きでフィレンツェで買って帰国して大切に使ってます。
フィレンツェに住んでいた友人も留学していた友人もこのゼッキの紙の話しをするとすぐに分かってくれて、あ、あれね!なんて言われます。やっぱりちょっと特徴あって味のある紙だからかも。まだ売ってるのかなぁ??
看板の前にフォロンの絵と同じような旅人が立っていたので、思わず写真撮ってしまった笑。
フォロンの名前を初めて知ったのは、もう何十年??前に趣味でイタリア文化会館でイタリア語を習っていた頃。
初めてのクラスで一緒になった中年のご夫婦がフォロンの絵が好きでコレクションしていると言っていて。
ベルギーまで作品を買いに行くとか話していて、ほへーそれは素敵ですなぁー。って心の中で思っていました。
そのご夫婦とは途中からクラス違ってしまって会わなくなってしまったけど、自分の個展とかも来てくれたなぁ。。なんて思い出しながら自転車で上野公園の脇道を走っていたら道の反対側に奇抜な服装の外人女性。ん?とふと顔を見たら多分その時に習っていたイタリア語の先生??!かも?こちら自転車で走っているし反対側の道だったので、本当にん??という一瞬の目撃。でも、本物かなぁ。シモーナっていういつも個性的な服で素敵な女性だった。時々皆でランチして、彼女ベジタリアンで肉なしインドカレー食べてたなぁ。
もし、シモーナだったらちょっと不思議な偶然です。イタリア語をまた習えという御告げでしょうか。。なんて。
そんなフォロン展からイタリア語教室の日々を思い出しました。懐かしいな。
kirinrin713kumiko at 16:50|Permalink│Comments(0)
2024年08月16日
夏の日
猛暑中お見舞い申し上げます。
上野の不忍池の蓮が綺麗な季節です。
毎日暑くて汗ダラダラで干からびそうです。
と思えば、エアコンが効きすぎると寒い。暑い〜とか寒いっ!とかしか言ってないきがします。
でも、今日は関東に台風が近づいていて朝から不穏な空模様。暑くはないけど、TVも台風のことばかり。
地震とか台風とか、怖い事ばっかりで落ち着きませんね。
今朝のアトリエからの空。嵐が来る前の静けさが不気味。
大型の台風が来ているとの事で朝からアトリエに行き、ベランダにある植木鉢を中に入れたり、買い物したり。子供の夏期講習も今日はお休みなので送迎もしなくて済みます。
なので、前に近所の画材店で買ったパネルに石膏下地をすることにしました。
一つはいつも買ってる普通のパネル。
もう一つはパネルに白い膜のような下地がしてあるパネル。
試しに買ってみました。
そのパネルのメーカーのホームページを見ると、キャンバスやパネルの製造な主で、日本の会社。
凄く丁寧な制作作業とこだわりがあってホームページを見る限り、素晴らしい!良品間違いなし。
販売もしてるけど、注文制のよう。
そして何より金額が高い。。。
いつも、私は普通のパネルに膠で和紙を貼ってからボローニャ石膏を施すんですけど、この高いパネルなら和紙の作業無しで良さそうです。ベニヤの油シミの心配も無し。
でも、どうかなぁ分かんない。。、やってみないと、今までも画材は色々試していますが、何度も失敗とかあんまり良くないとか経験してますので。
とりあえず、お試しで作ってみました。
さあ、どうなることやら。。。
乾いたら削りの作業やテンペラ絵の具の発色などで比較しようと思います。
この台風の影響も少なく過ぎる事を祈りつつ。
kirinrin713kumiko at 16:09|Permalink│Comments(0)
2024年04月14日
春の独り言
1800年代のフランス、ロマン主義の作品で「メデューズ号の筏」という暗くやたら大きな作品がある。学生の頃に行ったルーブル美術館で観た記憶はうっすらあるけれど、美術館にある他の多くの芸術作品群に感動の嵐で、若い学生の自分にはさほど心に残らなかった。
その絵の作者、近代絵画の先駆者と言われるテオドール・ジェリコーの事も殆ど知らなかった。
その画家の半生を描く漫画があるのを知ってなんとなく読んでみた。
1巻で完結なのだけど、読み途中からズキズキと心に刺さる。フランスパリで裕福な家に生まれた美青年のジェリコーは、父親には画家を反対されながらも、ひたすらに芸術と真摯に向き合い、人間の本性を暴き出すような絵を描こうと、あの悲惨で残酷な筏の絵を描く。
作品を描くまでも完成させた後もずっとジェリコーは満たされる事は無くて、いつも自分を責めている、そして鬱病にもなってしまう。。。
最後の章にはドラクロアも出てきて、ジェリコーがドラクロアに大きな影響を与えていた事も漫画には描かれている。
ジェリコーという若い天才画家の荒々しい半生がドラマチックに描かれていて、最後の方は読みながら涙がボロボロ出て止まらなかった。
それにジェリコーを検索して出てきた肖像画もめちゃくちゃ美男!かっこよすぎて、後ろに倒れそうになった。
そんな胸熱な中、朝ごはんを食べながらテレビの日曜美術館を観ていたら福田平八郎の特集。
そして、またもや頭をガーンと石で叩かれるのような、、ショック。ああ、本当に、あくなき芸術への探究心。平八郎が自分の表現を追求し過ぎて神経衰弱にもなる所とかジェリコーと平八郎と重なって、えー!!なんというかまた同じお告げというか、自分の心にどーんと乗っかってきて。胸がいっぱいになり押し潰されそうに。
はたして自分は自身の命を削るほどに努力しているのだろうか?
自分は本当にダメだって責めてしまって猛省で落ち込みそうになった。
けど、けど、それは仕方ないと、私は天才じゃないからと自分に言い聞かせて。己れが生きている事を自分で肯定作業。開き直りというのかな、そうじゃなきゃ絵なんて描けない。天才じゃないのに絵を描いてるなんて意味があるなだろうか、滑稽。
哀れで罪深いだけだから。
でも芸術への崇高な気持ちを少しでも想いながら、原点回帰しながら、制作していきたい。沢山の雑念や、つまらない事でクヨクヨしたり迷うけれど、芸術への憧憬を持ちながら、描くことはやめないで生きていきたい。
その絵の作者、近代絵画の先駆者と言われるテオドール・ジェリコーの事も殆ど知らなかった。
その画家の半生を描く漫画があるのを知ってなんとなく読んでみた。
1巻で完結なのだけど、読み途中からズキズキと心に刺さる。フランスパリで裕福な家に生まれた美青年のジェリコーは、父親には画家を反対されながらも、ひたすらに芸術と真摯に向き合い、人間の本性を暴き出すような絵を描こうと、あの悲惨で残酷な筏の絵を描く。
作品を描くまでも完成させた後もずっとジェリコーは満たされる事は無くて、いつも自分を責めている、そして鬱病にもなってしまう。。。
最後の章にはドラクロアも出てきて、ジェリコーがドラクロアに大きな影響を与えていた事も漫画には描かれている。
ジェリコーという若い天才画家の荒々しい半生がドラマチックに描かれていて、最後の方は読みながら涙がボロボロ出て止まらなかった。
それにジェリコーを検索して出てきた肖像画もめちゃくちゃ美男!かっこよすぎて、後ろに倒れそうになった。
そんな胸熱な中、朝ごはんを食べながらテレビの日曜美術館を観ていたら福田平八郎の特集。
そして、またもや頭をガーンと石で叩かれるのような、、ショック。ああ、本当に、あくなき芸術への探究心。平八郎が自分の表現を追求し過ぎて神経衰弱にもなる所とかジェリコーと平八郎と重なって、えー!!なんというかまた同じお告げというか、自分の心にどーんと乗っかってきて。胸がいっぱいになり押し潰されそうに。
はたして自分は自身の命を削るほどに努力しているのだろうか?
自分は本当にダメだって責めてしまって猛省で落ち込みそうになった。
けど、けど、それは仕方ないと、私は天才じゃないからと自分に言い聞かせて。己れが生きている事を自分で肯定作業。開き直りというのかな、そうじゃなきゃ絵なんて描けない。天才じゃないのに絵を描いてるなんて意味があるなだろうか、滑稽。
哀れで罪深いだけだから。
でも芸術への崇高な気持ちを少しでも想いながら、原点回帰しながら、制作していきたい。沢山の雑念や、つまらない事でクヨクヨしたり迷うけれど、芸術への憧憬を持ちながら、描くことはやめないで生きていきたい。
kirinrin713kumiko at 19:03|Permalink│Comments(0)
2024年02月01日
1月の独り言
1月は自分は1年の中で1番長く感じる不思議な月です。なので、少し心にも余裕がある?のか、毎年必ず新春浅草歌舞伎を観劇しに出かけます。今年も午前の部だけ観れました。華やかで若手のフレッシュさ力強さ、清々しい気持ちに。でもそれ以上の感想は無いかな笑。まあ、歌舞伎はそれで良いのです。色々と浄化してくれる。ありがたや。
先日、棚を整理していたら、すっかり忘れていた1月末迄期限付きの映画チケットがあって、うわ!無駄にしたら勿体ない!何か行かねば!と選んだ映画が「カラオケ行こ!」。なぜなら原作の漫画ファンなので、気になっていたのもあり。
主演は綾野剛さんで、特に好きでも嫌いでも無いし、とりあえずどんな仕上がりか見届けてやるぞ、という気持ちで行きました。
平日の真っ昼間なのに意外とお客さんも居て。私的には原作漫画の和山先生ファンも綾野剛ファンもきっと女性ばかりだろうと思っていたのですが。。。半分以上は男性客でした。なぜ???監督のファン?邦画ファン?まあ、それはそれとして、映画が始まって数分して、ああ、これは漫画とは別物として感じた方が良いなと。雨の中、ずぶ濡れのシャツから透けた背中の刺青と合唱部の異様に美しい歌声のシーンから始まるけど、素敵過ぎるというか、中学生の岡くん役の斎藤純君は美男子で綺麗だし、原作ののほほんとした世界とはちょっとズレる。狂児役の綾野剛さんも私のイメージとは違うんだけど、でも、完璧なのです、映画の狂児としての佇まいが。
セリフなんかはまるっきり漫画のままの所もあるけど、違うところもある。自分の好きなシーンが無かったのも、あれ?って残念だけど、、、狂児と岡くんの感情の動き、関係が原作に近く、ちゃんと描かれていて、一つの映画作品として何も文句無しです。それにしても、なんでカラオケって、人が歌ってるだけであんなに面白いんだろ。愛しいというのかな。
映画音楽も良くて、エンドロールで見たら自分の好きな世武裕子さんで納得。
ラストは原作を読んでるからすんなり分かるけど初めて見る人はどうだろ?意味分かるのかなぁと思いながら映画館を後にしました。
その帰り道にスマフォを見ると、飛び込んで来たのは漫画家の芦原妃名子さんの訃報。
その理由も凄くショックで、頭が真っ白になりました。もちろん漫画も好きで、ドラマも観ました。ドラマ化になる時に芦原先生がまだ完結していない漫画をドラマにするのはどうかなと思うけど、、、みたいなコメントを見て、そりゃそうだよね描き途中だもんね、と思っていたし、ドラマの脚本家のインスタ投稿も以前から見ていて、はぁ?ナニイッテンダ?って不愉快に感じていたので、、まさかこんな事になるなんて、と。当事者では無いので何がどうなのか、真実は分からないけれど、ずーっとまえから昨今のドラマも映画も漫画原作ばっかりで、正にひとのふんどしで相撲をとるような、脚本。カメラワーク。全く漫画家の才能に頼りすぎ!って思っていました。美味しい所だけ盗んでるようにも見えるし、本当にリスペクトしてるのか疑問です。
漫画も小説も読み手が100人いたら、受け止め方感じ方は100通りで、凄く繊細な世界。それを映像というメディアの特権で一つの形にする訳ですから、ただでさえ横暴な行為で。その特権で原作者を殺さないで欲しい。
芦原先生が孤独に追い詰められて死を選んでしまった事が本当に可哀想で悔しくて。
これからこんな悲惨な事が2度と起きて欲しくない。。。
これ以上書くととんでもなくどんどん文句になりそうなので、この辺にしておきます。
今は、芦原先生のご冥福を心よりお祈りいたします。
kirinrin713kumiko at 09:29|Permalink│Comments(0)